NIKE AIR JORDAN 1 LOW SE
“TOKYO VINTAGE”
マイケル・ジョーダンの母校「ノースカロライナ大学」から
カラーインスパイアされたAIR JORDAN 1 LOW SE ”TOKYO VINTAGE”が登場。
1996年9月、横浜アリーナで開催された「NIKE HOOP HEROES」は、
イベントにはジョーダンのほかにも、チャールズ・バークレー、ジェイソン・キッド、 マイケル・フィンリー、デイモン・スタウダマイアー、スペシャルゲストはカール・ルイスという豪華な顔触れが揃った。
そこでAIR JORDAN 12を着用していたジョーダン本人と1on1にトライした少年が着用していたのが、
今回のAIR JORDAN 1 LOWはその名シーンを切り取って、ジョーダンが着用していたAIR JORAN 12のリザードスキンを使用したスウッシュに、
ノースカロライナ大学のチームカラーを落とし込んだ特別な一足。27年の時を経て、あの日の興奮を思い出すファンも少なくはないだろう。
松井選手
スペシャルインタビュー
今回は、マイケル・ジョーダンが初来日した際に出演したイベントでの
バスケットボールを始めたきっかけは?
TOKYO23(以下T23):早速ですが、バスケットボールを初めたのはどういった経緯なのでしょうか。
小学校に入るまでサッカーを習っていました。
そんな時に1992年バルセロナオリンピックでマイケルジョーダンが参加したドリームチームの試合を見た父が感激を受けて、バスケットボールを勧めてくれました。
小学生になってからは父と一緒に練習をしたり、大人に混ぜてもらいながらずっとプレイをしてきました。
T23:では小学生の時にはもうバスケットボールに夢中になっていたんですね。
松井選手:そうなんです。そこからずっとバスケットボール一筋でしたね。
当時を振り返ってみて
T23:今回の『JORDAN BRAND AIR JORDAN 1 LOW SE』は松井選手がジョーダンと1 on 1をしたジョーダン初来日のHoop Heroesからインスピレーションを得ています。
当時の思い出を振り返ってみていかがですか。
松井選手:先程話したように僕がバスケットボールに熱中するようになったのは父の影響が大きいです。
小さい時からアメリカ、シカゴで開催されているマイケルジョーダンキャンプに父がよく僕を連れて行ってくれました。
T23:当時からバスケットボールにもジョーダンにも夢中だったんですね。
松井選手:1995年に日本でNBA選手の「ショーンエリオット」「スティーブカー」が日本でもクリニックをやるとのことだったのでクリニックにも参加をしました。
当時から大人に混じって練習をしていたこともあり周りの子に比べるとバスケットボールの技術もあった為、2人がそのクリニックを通して僕のことを覚えてくれていたらしいんです。
T23:そんなことがあったなんて驚きです。NBAのスタープレイヤーに覚えて頂けるほどずば抜けていたんですね。
松井選手:そしてクリニックに参加した翌年1996年に『Hoop Heroes』というイベントが開催されました。
その時マイケルジョーダンとの1on1を行うイベントが開催されることになったんです。
その時1on1どういった子供を選んだ方が良いかのミーティングの時、聞いた話によると「ショーンエリオット」が前年のクリニックの出来事を話してくれたおかげでNIKEが僕に声をかけてくれたおかげであのイベントに参加する事ができました。
T23:ずっとバスケットボールに夢中になってたからこそ起こった出来事だったんですね。横浜アリーナでの1on1は緊張などされなかったんでしょうか。
松井選手:僕にとって、ジョーダンとの1on1は人生の中でも3本の指に入るほど緊張感がありましたね。満員の横浜アリーナでスポットライトが当たっていてみんなが注目している中で行なうので変なことは出来ないなと子供ながら考えていました。ジョーダンへのリスペクトや観客のみなさんを楽しませるためにも、父にも協力してもらい入場のパフォーマンスから自前のノースカロライナのユニフォームのセットアップ、自前のバスケットボールシューズを履いていったのを今でも覚えています。
T23:あの時着用していたユニフォームは自前だったんですね。勝手ながら準備されているものかと思っていました。
松井選手:実はNIKEさんが着用するウェアやシューズを用意して頂いていたんですが、これだけじゃジョーダンを楽しませることは出来ないと感じたので自前のものを着用させてもらったんです。
T23:当時から相手を楽しませる気持ちがあったなんて脱帽です。
あの瞬間を抑えた写真について
T23:今回の『JORDAN BRAND AIR JORDAN 1 LOW SE』のリリースの影響もあり、あの時の写真が世界中で注目されていますが、あの写真をみてなにか感じる事はありますか?
松井選手:実を言うとあまり写真を見て振り返ることはあまりないんですよね(笑)
ですが、今回の発売を通してみなさんがあの写真に触れてくれるというのはすごく光栄な事だと思っています。父はこの写真をテレフォンカードにしたりもしていましたね。
T23:やはりご家族にとっても思い入れが深い1枚なんですね。
松井選手:そうなんです。実はこの写真を撮って頂いた翌年にもジョーダンキャンプに参加をしたんです。もちろんキャンプに参加をしたいというのがメインでしたが、ジョーダンにサインをしてほしいと思いもありキャンプに参加すると僕のことを覚えていてくれたんです。
いつもジョーダンキャンプの1コーナーでジョーダンと1on1をすることができるのですが、その際も僕のことを選んでくれてもう一度1on1が出来たのも忘れられない出来事の1つですね。
T23:写真を通してまたつながることができたのも素敵な話ですね。
松井選手にとってジョーダンは?
T23:ここまで話しているとやはりジョーダンという選手が多くの人たちに影響を与えていて、松井選手もその一人だとは思うのですが、そんなKJさんから見てジョーダンの魅力ってどういったところなのでしょうか。
松井選手:今とは違い、インターネットが普及していなかったので、自分がみていたジョーダンはTVに映る父が借りてきたVHSテープのジョーダンの姿でした。
TVの中でも当たり前の様にする華麗なプレイや紳士的な対応などが僕にとってのジョーダンの魅力でしたね。
T23:やはりバスケットボール選手を目指す要因になったんでしょうか。
松井選手:そうですね。ジョーダンが子供に夢を与える力があったんだと思います。
あの時ジョーダンと1on1をできたこと、イベントの時最後にジョーダンがボールとその時着用していたユニフォームを僕に渡してくれたこと。そんな経験もあり、アメリカにバスケットボールをしに行くことも決められましたし、バスケットボール選手を目指すきっかけになりました。
プロバスケットボール選手として
T23:ご自身のバスケットボール選手の現役生活を一度振り返ってみてご自身を奮い立たせることができた要因はどんなことがあると思われますか。
松井選手:もちろん、いい時も悪い時もありました。
アメリカに居るときは自分が試合に出られない、ケガをしてしまった時などで気持ち的にも身体的にも調子が上がらない時期もありました。
でも、みんなが自分を送りだしてくれたこと、応援をしてくれている人がいること、そんな人たちを裏切りたくないという気持ちもあり、頑張ってこられたのかもしれませんね。
T23:現役を続けるためにもポジティブな気持ちが大事なのですね。
松井選手:落ちるときは落ちちゃいますけどね(笑)
若い時は全然シュートが入らないときに下がってしまう時もありましたが、今ではそんな時でも気持ちを保てる力をつけられてきているのかと感じています。
T23:松井選手はいつまで現役を続けていきたいとお考えですか?
松井選手:とりあえず40までは続けていこうかと。
新プレミアリーグというリーグが2026年に作られるといわれているのでまず目標はそこに向けているという感じですかね。ジョーダンのように自分も子供たちに夢を与えたいという思いがあるので今後も頑張り続けたいと思います。
T23:その時まで、是非応援させてください。
最後に
T23:最後にBリーグやストリートバスケなど、すべてのバスケットボールシーンに向けてコメントがあれば是非お願いします。
松井選手:チャレンジすることはどんなジャンルのバスケットボールでも大事なんじゃないでしょうか。上のレベルを目指すには色々な道があるとは思うのですが、色々な選択肢の中から自分が良いと感じる方向を選んで進んでいけばトップに向かっていけるんじゃないでしょうか。
T23:貴重なお話ありがとうございました。
お怪我に気を付けてこれからも頑張ってください。
Profile
松井啓十郎(まつい けいじゅうろう、1985年10月16日)B.LEAGUEの富山グラウジーズ所属、バスケットボール選手。
ポジションはガード。B.LEAGUEの富山グラウジーズ所属。愛称は「KJ」。
AIR JORDAN 1 LOW SE
DZ5376-469 |