ハラチ誕生と
フィットの歴史

Text by_Masayuki Ozawa

NIKEのテクノロジー史において、重要な概念がクッショニングとフィットの2つです。クッションは、NIKE AIRの進化がすべてを物語っています。1977年、元NASAの技術士だったフランク・ルディが持ち込んだエアのアイデアを初めて具現化したのは、翌年に発売されたエア テイルウィンドウでした。その10年後、ソールの中に隠れていたエア ユニットを肥大化させ、ウィンドウから覗かせるAIR MAX 1が誕生しました。ちなみに剥き出しのAIRのソールを作るという悲願のストーリーは、現在も進行中です。

この空気を応用してフィットに生かそうとしたのは、当時アメリカで競い合っていたライバルのリーボックでした。それがアッパーに内蔵されたチャンバーと呼ばれる部屋に手動で空気を送り込む「ポンプシステム」の誕生。1989年でした。それに対抗するようにNIKEは、1991年に「ハラチシステム」を発表します。搭載モデルはAIR HUARACHE、デザイナーはあのティンカー・ハットフィールドです。足をいかに快適に包み込むかはスポーツシューズの永遠の命題であり、NIKEも70年代からフィットのテクノロジーを緩やかに更新し続けていました。その集大成がハラチだったのです。

INDEX

ハラチ誕生とフィットの歴史

伝説の
ランナーの
ために

PRE MONTREAL(1973)

ナイキの共同創設者であるビル・バウワーマンの弟子であり、ナイキにとって初めて契約アスリートであるスティーブ・プリフォンテーン、通称”プリ”。ヒッピー文化の名残とも言える口髭と長いもみあげがトレードマークで、学生時代から数々の全米記録を塗り替えてきた、ナイキのお膝元のオレゴン州だけでなく、アメリカ中の期待を受けたランナーでした。権威あるスポーツ・イラストレイテッド誌の表紙には「アメリカ中長距離界の天才児」とも紹介されました。

破天荒なランニングスタイルの割に、自分が着用するシューズに関しては誰よりも神経質だったプリは、つま先のフィットにこだわり、従来のナイキ シューズの改善を提言していました。そんな彼のためにナイキが用意したのがトゥに縫い目をもたない、ボックス構造のPRE MONTREAL。プリの名前と1976年の夏季五輪の開催地を組み合わせたモデル名で、アメリカの期待を込めたかのようなカラーがミニマルなアッパーを彩りました。しかしある大会の帰宅中、不慮の交通事故によってプリは命を落とし、このシューズを履いてオリンピックに出場する夢は叶いませんでした。

AIR HUARACHE

HISTORY

通気性のある
メッシュを
つま先だけに

BERMUDA(1979)

それでもプリの魂は、ナイキの飽くなきシューズへの探究心によって生き続けています。トゥのボックス構造は、PRE MONTREALのレガシーとして、後にあらゆるランニングシューズに用いられました。1976年に登場したSTINGもまた、縫い目を持たないボックス構造で有名なモデル。ナイキはシューレースを素早く、かつ解けにくく結ぶために登山靴のディテールであるDリングをSTINGに応用し、フィットを高めました。

当時のランニングシューズの大きな課題が通気性でした。靴内の温度が上昇すると足が蒸れ、マメの原因となるからです。70年代のスポーツメーカーは、アッパーにメッシュをどれだけ使用するべきか。その最適な面積を導き出すために試行錯誤を繰り返してきました。BERMUDAは、70年代におけるランニングシューズの完成形であり、次のフェーズへのプロトタイプでした。メッシュを全面に用いれば確かに通気性は高まりますが、その分柔軟性に欠けるデメリットがあったのです。そこでBERMUDAはメッシュとナイロン、スエードという3種類を用い、面積を最小限にすることにしたのです。そして、フィットへの大きな功績は、シューレースホールをジグザグに配置したヴァリアブル・ワイズ・システム。甲部全体を覆う設計は、80年代のあらゆるランニングシューズに生かされています。

AIR HUARACHE

HISTORY

靴下のように
伸縮する
メッシュ

SOCK RACER(1986)

1980年代に入り、エア フォース1の開発を終えたデザイナーのブルース・キルゴアの元に、スポーツ生理学者のジョン・ヘイジーがある長いソックスを持ってきました。キルゴアは、そのつま先とかかとにEVA素材のソールを着けて即席のシューズを作りました。これがSOCK RACERの開発のはじまりです。

本格的な長距離レース用のフラットシューズとして登場したSOCK RACERは、BERMUDAよりも目が粗く、縦横に伸縮するメッシュ素材を使い、合成スエードのストラップで足を快適に固定しました。何よりも軽量性を進化させたシューズでした。1986年、当時には珍しいスウッシュのないナイキ シューズの誕生です。

エア マックス1やエア ジョーダン3をデザインしたことで知られる奇才、ティンカー・ハットフィールドが完成させたデザインは、ランニング業界にとってはただ奇抜であり「みつばちのようなシューズ」と懐疑的な目を向けていましたが、あるレースによってすべて吹き飛ばしました。ノルウェー出身のマラソン選手、イングリッド・クリスチャンセンがSOCK RACERを着用し、86年のボストンマラソンを制したのです。彼女は、この高いフィットと通気性と軽量性を証明しました。

AIR HUARACHE

HISTORY

ハラチの設計は
ユース・カルチャーの
原点がソース

AIR HUARACHE(1991)

デザイナーのティンカー・ハットフィールドにとって、AIR HUARACHEは今までにない特別なプロジェクトでした。SOCK RACERの課題でもあった通気性を高めること、そして新品のシューズを履いた瞬間に包まれるようなフィットを得るために、自身の水上スキーの経験から、ネオプレーン素材を使うことを考えました。ランニングシューズの外骨格ともいえるヒールカウンターを取り払い、ストラップで固定する仕組みは、アッパーを手で革を編み込むメキシコの伝統的なサンダル、ワラチに着想を得ています。ワラチは、英語でサンダルを意味します。40年代にジャック・ケルアックの自伝的小説『オン・ザ・ロード』でアメリカを横断した旅の足元がそうであったように、60年代のヒッピーのアイコンだったように、80年代のサーファーの定番だったように、ワラチはユース・カルチャーの原点でした。「ハラチシステム」は最先端のテクノロジーでありながら、そのルーツはアメリカにとって馴染み深いものです。

NIKEは1987年のAIR MAX 1によってクッショニング競争をリードしました。次はアッパーの時代です。テクノロジーへの投資が惜しみなく行われた80年代後半は、プラスチックや化学繊維が進化し、シューズデザインの常識が大きく変わりました。分厚いレザーをギブスのように固定し、機能を盛り付けて足を保護するフェーズから、足をやさしく包み込む軽量なアッパーへ。ソックスとサンダルの視点からランニングシューズを作るという、逆転ともいえる柔軟な視点と、軽量化を図るために無駄なパーツを削ぎ落とす引き算の美学が落とし込まれたAIR HUARACHEは、90年代のNIKEが進むべき方向性を示した、運命のデザインだったのです。

AIR HUARACHE

HISTORY